【職人探訪】Vol.5 井上絵美子「金継ぎと淺吉砥石」

堤淺吉漆店が取り扱う、漆、材料、道具について毎回一商品に焦点を当て、実際に使用して頂いている職人さんや作家さんに、使い手目線の評価をしてもらう不定期連載企画。元地域情報紙の記者で、現在は堤淺吉漆店の営業として全国の職人さん、作家さんを回っている私、森住が昔を思い出しながらちょっと記者ぶってお届けする気まぐれコラムです。


VOL.5 代用針炭「淺吉砥石」金継ぎ編

金継ぎとうるしの教室 emi-URUSHI主宰(京都市)
井上絵美子さん  Facebook Blog


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コラム「職人探訪」もお陰様で5回目。今回取り上げる商品は「淺吉砥石」其の二。Vol.3でも「彫漆と淺吉砥石」というテーマで紹介し、多くの反響を頂いたが、同時に「金継ぎ編」を求める声も数多く寄せられた。それもそのはず、淺吉砥石の最も多い使用用途は金継ぎだ。

昨今のコロナ渦において、自粛生活が続き、おうち時間のお供として注目される「金継ぎ」。緊急事態宣言は解除となったものの、新しい生活様式の定着が求められ、今後もしばらくは増えるであろう「おうち時間」。元々ブームとなっていた金継ぎだが、今後も挑戦する人は増えるかもしれない。

当社の「金継ぎコフレ」もお陰様でご好評頂き、取り扱いをご希望頂ける店舗や媒体も増えた。それに伴い、より丁寧にわかりやすい動画解説もスタート。もちろん動画の中でも淺吉砥石の使い方に触れているが、今回は京都で金継ぎ教室を主宰する、作家・井上絵美子さんに、より具体的に「金継ぎにおける淺吉砥石」の使い方を聞いた。

井上さんの作品といえば、朱漆で「芽吹きの瞬間」「金魚が翻(ひるがえ)る瞬間」を表現した乾漆作品が代表的。笑顔がトレードマークの井上さんらしい、生命力に溢れ、柔らかく優しいフォルムが印象的だ。この作品の原点は何処にあるのだろうか。実は意外なところにルーツがあった。

芽吹きの瞬間をイメージした「萌生」

芽吹きの瞬間をイメージした「萌生」

こちらも芽吹きの瞬間をモチーフにした「萌芽」

こちらも芽吹きの瞬間をモチーフにした「萌芽」

大阪府堺市出身。母親が中学校の美術教師だったこともあり、幼いころから絵を描くことや、モノを作ることが身近な環境に育った。一方、祖父は専業農家。実家のまわりには畑が広がり、晴れの日は泥まみれになって遊び、雨が降ったら画用紙に絵を描く幼少期を過ごした。




実はこの幼少期の記憶こそ井上さんの作品の原点なのだ。
しかも、母親の影響というよりも、むしろ祖父との時間や思い出を懐古しながら表現している。特に植物の実や種をモチーフに「芽吹きの瞬間」を表現した作品は祖父と畑で過ごした幼き頃の記憶から生まれるもの。

「種をまくこと、芽が出ること、植物を育てるということをとても大切にする人で、祖父と一緒に過す時間が大好きでした」。

その貴重な体験から、
「小さな種から殻や皮を突き破って芽が出てくるさまに、生命のとてつもなく大きなエネルギーを感じた」。

その時の感動をずっと漆で表現してきた。大人になり、結婚し、出産、子育てを経験した今でも、祖父から学んだ「芽吹きの感動」はずっと脳裏に焼き付いている。年を重ねてもこの感動を漆を通して表現し続ける。

もう一つの代表作、翻る金魚。

現在、自宅で丹頂という種類の金魚を飼っている。直径20㎝ほどに成長したこの大きな金魚が、水槽の中で垂直に底に向かって泳ぎ、底の直前で急に身を翻す瞬間を表現したのが、金魚をモチーフにした作品。

「身体は躍動的に機敏に方向を変えるのに対して、尾びれは柔らかくゆっくり花が咲くように開いて緩やかに身体を包みながら方向を変える。その動と静の対照的な絡みが大好きで作品で表現しています」。

第30回工芸美術展創工会展最高賞「創工会京都工芸賞・京都新聞賞」受賞作品「翻身」 大きな尾びれで身体を包み込む姿から生まれた作品。

第30回工芸美術展創工会展最高賞「創工会京都工芸賞・京都新聞賞」受賞作品「翻身」
大きな尾びれで身体を包み込む姿から生まれた作品。


実はこの金魚についても、幼少期の思い出が関係している。

井上家は昔から、ピアノの発表会の後にご褒美として買ってもらったり、地域の祭りで金魚すくいしたり、とくかくよく金魚を飼う家だった。実家の水槽だけではなく、畑に隣接する溜池にも放し、祖父と成長を見守った。当時の記憶は今でも鮮明で、金魚にまつわるエピソードは数えきれないほど。現在も金魚を飼っているのは、昔を思い返したり、祖父と繋がっている感覚があるから。井上さんの金魚をモチーフとした作品づくりは、幼き頃に想いを馳せ、祖父と会話をしているかのように命を吹き込んでいく作業だ。


芽吹きの瞬間も金魚も「子どもの頃に心にしみわたった思い出をカタチにするようなもので、物語を紡ぐように考えています。作品を観て、話しを聞いているように感じて頂けるといいなと思いながら制作しています」と共通点を語る。

 

朱にこだわる理由について「私の作品は、緩やかな曲面の変化を見てもらう表現が多いです。塗りの朱漆は、この緩やかな変化を柔らかな陰影の移り変わりによって優しく表現してくれます」と井上さん。「命が宿るものの生命感を表現するのに、自分のイメージに一番合っています」と語る。

「ひるがえりきんぎょ」

「ひるがえりきんぎょ」

生命力に漲る芽吹きの瞬間と翻る金魚の躍動感に、朱漆のしっとりとした質感や艶が、柔らかさと温かみを加え、唯一無二の作品を作り上げている。

高校卒業後に京都市立芸術大学に進学。1回生の時、学内で開催されていた漆工科の展示会を見て「色彩や形も様々で、加飾にも驚いた。漆でこんな表現ができるのか」と感動し、2回生から漆工を専攻。以来、漆に魅了され続けている。


大学院まで進み、卒業と同時にそのまま3年間、非常勤講師として大学に残った。その後、結婚、出産を経験。子どもが幼稚園入園を機に、自身も京都市産業技術研究所で伝統産業技術後継者育成研修を2年間受講。改めて専門的に漆を学んだ。


出産から伝統産業技術後継者育成研修受講までのおよそ4年間。子育てで忙しいこの時期に「子どもを理由に制作を休みたくない」と、限られた時間の中で作品づくりを続けた。驚かされたのは、この間に個展を開催されていること。その場所というのが、京都の歴史ある寺院「法然院」。しかも、「庭園の緑に対比させて展示させてほしい」と直談判し、普段貸し出されていない南書院という場所で開催したというから驚きだ。

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これまで、出産し子育て中は制作から離れるという方のお話しは数多く伺っているが、逆にパワーアップして個展を開催、しかも直談判の上、法然院で。私が井上さんにお会いしたのはそれからだいぶ後のことで、もちろんその個展は観ることが出来なかったが、きっと井上さんの熱意が伝わって開催に至ったのだろう。

近年、井上さんをはじめ、世代を問わず元気な女性漆芸作家の活躍が目立つ。とにかくそのパワーがすごい。



2012年には、工芸評論家の外舘和子氏や漆芸作家の松島さくら子氏らが中心となり、「世界の女性作家による漆表現の現在」というテーマで『漆・うるわしの饗宴展』が東京・京都・福島で開催された。京都会場の時は、日本全国・世界各国の女性漆芸作家が、当社の工場見学に来られ、その熱量に圧倒された。もちろん井上さんもメンバーの一人。

まだ新型コロナウイルスの感染が拡大していなかった今年1月には、井上さんをはじめ、吾子可苗さん(福島)・いらはらみつみさん(東京)・下條華子さん(佐賀)・高橋香葉さん(島根)の女性五人展が高島屋京都店で開催された。もちろん私も拝見したが、やっぱりパワーがすごい。全員にお会いすることは出来なかったが、作品からも、ご本人たちからも元気をもらって帰ったのは記憶に新しい。

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この展覧会は、全国から「色んな漆の姿をお見せしたかった」と井上さんが声をかけて集まったグループ展。確かに全く異なる漆の表現で、他には無い展覧会だった。

「皆、自分を持ちながら突き進んでいる、私が追いかける側として見たい人たち」と井上さん。5人それぞれの個性が化学反応したかのような、これまでの高島屋美術画廊の概念を良い意味で覆してくれた展覧会だった。

2013年には「金継ぎとうるしの教室 emi-URUSHI」を立ち上げ、現在約20名の生徒に漆の魅力を伝えている。

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井上さんにとって金継ぎは

 

「人と繋がる仕事」。

 

高級な焼き物でも、100円ショップで購入したお椀でも、使っている人にとっての思い出は値段では比較出来ない。

 

「思い出の詰まった大事な器が割れたり欠けた時、修理をお手伝いし、想いを繋ぐことが出来るのは幸せなこと」。

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生徒さんも皆、「高級な器ではないけれど…」と言いながら入会してくるというが、そこにはやっぱり思い出や愛着がにじみ出ている。生徒さんの多くは金継ぎをきっかけに「漆」に興味を抱き、今では蒔絵や変り塗りなど様々な技法に挑戦している。

「金継ぎは漆を知ってもらう入り口」。

Vol.4で紹介した江藤雄造さんも全く同じことを話していた。

 

私も、井上さんの教室は開校当初からたまにお邪魔している。

代用針炭「淺吉砥石」開発時も、教室を訪れ、サンプルをお渡しして「金継ぎで試してもらえませんか」と半ば強引にお願いした記憶がある。もちろん快く受けて頂き、その後高評価を頂けたことで、自信を持って販売することが出来ている。

当社WEBサイトの淺吉砥石の解説ページにある金継ぎの使用例は、まさに井上さんに教えてもらったもの。もちろん、番手によって、登場回数の少ない粒度もあるが、とてもわかりやすく教えてもらい助かっている。

今回は、その井上さんに淺吉砥石について聞いてみる。

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まずは、下記表をご覧頂きたい。

金継ぎの工程と淺吉砥石の粒度を表している。

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個人差はあるものの、様々なお客様に聞くと、錆研ぎは#400#500#700・中塗り研ぎは#700#1000#1200。幅はあるが、やはり皆共通している。最も良く売れているのは#700と#1000。迷っているならこの2種類なら間違いない。


今回は絵漆を#700番で研磨するところを下記の動画と写真で説明。中塗りは黒呂色でされる方が多いと思われるが、今回はあえて絵漆で。

Vol.3の「彫漆と淺吉砥石」の時は、先端を斜めに加工して使っている場面を紹介しているが、井上さんの場合はあえて先端はそのまま。

ちなみに、淺吉砥石は、一般の砥石と違い、砥粒ではなく繊維の集合体。つまり両先端でしか研磨出来ないので予めご了承を。

金継ぎで使用して頂いているお客様でも先端を使いやすい角度に加工して使っておられる方も多いが、ここではあえて加工無しのバージョンを紹介。

なぜ、加工しないかというと、下の写真を見てほしい。
文字で説明するのが難しいが、絵漆と陶器の境目に丁度淺吉砥石の角を当てることで、釉薬を傷つけることなく研磨出来るというメリットがある。細かい作業になると、指が邪魔して意外にこの境界線が見えにくかったり、視力の問題もあり、漆からはみ出して陶器を研磨してしまうことがある。あえて淺吉砥石の直角を利用することでそのリスクを軽減するのが井上流、淺吉砥石の使い方。

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淺吉砥石を使う前は、炭や三和するが砥石、クリスタル砥石を棒状に加工して使っていた。しかし、細かな部分を研ぐとなると、かなり細く加工しなければならず、炭でも砥石でもすぐボロボロになってしまう。


生徒さんには、割りばしにペーパーを巻き付けて対応してきたが、ある程度面が広い部分ならうまくいくものの、細かい部分となると、うまいこと研磨出来ないのは当然のこと。ペーパーを頻繁に変える必要もあり、ロスも多かった。


その点、淺吉砥石はそれらの欠点を全てクリアしてくれる。

折れずらい上に減りにくい。その上、良く研げる。

難点を挙げるとするなら、面積が広いところには不向きであること。当然だ。

しかし、最も使用頻度の多い#700においては、3㎜角の淺吉砥石も用意し、ある程度の面には対応出来る。井上さんも生徒さんもご利用頂いている。

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そこで井上さんから思わぬリクエストが。

 

「#1000の3㎜角も作って下さい」と。

 

皆さん、いかがですか。欲しい人連絡下さい。ある程度需要が見込めないと、制作に踏み切れないのが本音。でもリクエストが他にもあれば、前向きに検討します。

 

さて、淺吉砥石の便利なところとしてもう一つ。

 

「研ぎ汁に含まれる研磨粒で深い傷が入らない」。

 

炭や砥石、ペーパーだと、研ぎ汁に含まれる不揃いの研磨粒が絡まり、深い傷が入ってしまうことがしばしば。淺吉砥石だと、なぜかそのリスクはほとんどない。


そしてもう一つ。

下の写真のように、器によっては金彩が施されているものもある。金彩はわずかに炭や砥石、ペーパーが当たっただけでも剥がれてしまうが、その点、淺吉砥石だと的確に当たるので失敗が少ないという。

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番外編としてもう一つだけ。これは金継ぎに限らず、いや、むしろ金継ぎ以外に当てはまることが多いが、漆が縮んだ時には、#360#400#500あたりの淺吉砥石でピンポイントに研ぐとうまくリカバー出来る。しかし、縮んだ漆がしっかり硬化していることが条件。当社の漆、特に光琳は、縮んでもしっかり芯乾きする為、後の処理が便利だ。

と、こんな感じで今回は、「金継ぎにおける淺吉砥石の使い方」を説明してみました。
いかがだったでしょうか?

 

「とにかく効率が良く、ストレスが軽減される」。

 

最後に井上さんの嬉しすぎる言葉で締めさせて頂きます。

 

 淺吉砥石に関するご不明点、質問は森住までお気軽に。

その他ご相談何でも承ります。

 ご連絡はこちらまで urushiya@kyourushi-tsutsumi.co.jp

 ご注文はこちらから https://www.kourin-urushi.com/?mode=cate&cbid=2357092&csid=0

 

 【金継ぎとうるしの教室 emi-URUSHI】

いつでも入会可能。詳しくは直接ご連絡を。

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問い合わせは emiurushi@gmail.com まで

 

筆者/株式会社堤淺吉漆店・森住健吾

プロフィール

神奈川県南足柄市出身。私立桐光学園高等学校にサッカーのスポーツ推薦で入学。在学中、インターハイ3位、全国高校サッカー選手権大会準優勝。日本高校選抜選出。その後、専修大学に進学。体育会サッカー部所属。関東大学サッカーリーグ2部新人賞受賞。卒業後は、仕事とサッカーを両立できる京都の佐川印刷株式会社に就職(サッカーで)。日本フットボールリーグ(JFL)に所属し、選手として活動しながら、人事部にて採用活動に従事。度重なる大けがで2度の手術を経験。サッカー選手を引退し、退職。地元神奈川に戻り、高校時代に取材を受けた株式会社タウンニュース社に就職。茅ヶ崎編集室・厚木編集室にて記者・副編集長を兼務。入社2年後に結婚。相手は遠距離していた京都の漆屋の娘。2児の父となり、そして今、なぜか漆屋で働いている。

 

asakitichi tsutsumi